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東京高等裁判所 昭和58年(け)7号 決定 1983年6月14日

申立人 古川祐士

請求人 近田才典

代理人 古川祐士

主文

本件異議申立を棄却する。

理由

本件異議申立の趣意は、請求人の代理人弁護士古川祐士が提出した異議申立書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

論旨は、要するに、原決定は、(1) 無罪が確定した本件の勾留と別件の勾留とが併存した期間及び本件につき形式的には勾留されていなかつたものの右別件の勾留を利用して本件の取調がなされた期間を補償対象日数に算入しなかつた点において、刑事補償法ひいては憲法三一条三四条四〇条に違反している、(2) 別件の勾留の大半が本件の取調に利用されたり捜査側が被告人のアリバイ捜査を適正に行わなかつたりした本件の事情を無視して一日の補償割合を刑事補償法による最高額四、八〇〇円を下廻る三、五〇〇円とした点において、憲法三一条三四条四〇条に違反しているというのである。

そこで、関係記録を調査し、まず(1) について検討すると、原決定記載のとおり、請求人は、無罪が確定した本件の関係では、昭和四五年一一月一四日逮捕され引き続き勾留されたが同年一二月六日一旦釈放されて、同月二一日起訴と同時に勾留状の執行を受け、以後昭和五三年一〇月三〇日釈放されるまで拘束され、これとは併合されず別個の手続によつて審理され、 後に有罪が確定し服役した別件甲、乙、丙の関係では、昭和四五年一〇月二七日逮捕されてから昭和四八年七月二三日刑の執行を終了するまで合計一〇〇一日(このうち未決勾留の本刑算入分と労役場留置分を含む刑の執行期間が九一六日ある)拘束されたものであるところ、原決定は、本件による拘束日数のうち別件による拘束と競合しない別件の刑終了の翌日以降の分につき刑事補償したが、それ以前の別件による拘束と競合する分のうち前記九一六日(この分は請求人も請求から控除している)を除いた残りの五三日分と別件のみにより拘束された三二日分については「本件とは別個の手続により、有罪の判決を受けるに至つた場合においては、単にこれと本件の逮捕、勾留とが併存したに過ぎないときは勿論、本件について、身柄を拘束することなく、その取調がなされたときであつても、別件甲による逮捕、勾留は、適法に、当該事件の処理の必要上なされたものであり、特段の事情のない本件においては、無罪の判決があつたからといつて、補償の対象として考慮することは、相当とは言えない」として補償をしなかつたことが明らかである。

刑事補償法は、特定の事実を原由として抑留又は拘禁された者がその事実について無罪の裁判を受けたことを補償の要件としたと解される憲法四〇条に基づき、その補償に関する細則及び手続を定めた法律であるところ、刑事補償法一条三条五条等の規定に照らすと、同法による補償は、損害を填補する点において国家賠償とその本質を同じくし、ただ無罪の裁判があつた者については、これを受けるまでに被つたすべての損害を補償の対象とすることなく、同法一条所定の身柄の拘束自体による損害にこれを限定し、一日の補償金額をも法定することによつて、補償の内容を定型化したものであるということができる。そうしてみると、無罪とされた事実により身柄を拘束された者であつても、これと競合して別個の原由によつて重ねて身柄を拘束されていたときには、原則として、刑事補償法が補償の対象としている損害はなく、したがつて、同法一条に基づく補償を受けることはできないものと解すべきである。厳密にいえば拘束の原由いかんによつて損害の多寡に相違はあり得るが、身柄の拘束そのものは一個であり、その期間中別の原由によつても拘束されていた以上、通常、無罪事実に基づき身柄を拘束されたこと自体による別異の損害は生じなかつたと考えられるからである。刑の執行と競合する日数について補償されないことについては、ほとんどこれまで疑問とされず、本刑に算入された未決勾留の日数と競合する無罪事件の勾留期間についても補償の対象とならないとされている(昭和三四年一〇月二九日第一小法廷決定・刑集一三巻一一号三〇七六頁、昭和五五年一二月九日第二小法廷決定・刑集三四巻七号五三五頁)のも、まさにこのためである。ただし、本件のように無罪事件につき逮捕勾留されると同時に有罪事件についても逮捕勾留され両者が併合されることなく別個の手続において審判されている場合に、右の有罪事件につき保釈許可決定を得たものの競合する無罪事件の勾留があつたため現実に身柄を釈放されないことを考慮して保釈保証金を納付せず有罪事件の勾留が継続したときとか、別の事件が不起訴となつたときのように、問題となる身柄の拘束が実質上無罪事件のみに基づくものと認められる特別の事情があるときには、例外として、刑事補償の対象になるものと解すべきである。前掲原決定の判示も結局はこの趣旨を表わしたものと思われる。なお、類似の場合として、刑事補償法三条二号は「一個の裁判によつて併合罪の一部について無罪の裁判を受けても、他の部分について有罪の裁判を受けた場合」には「裁判所の健全な裁量により、補償の一部又は全部をしないことができる」と規定しているが、これは、右の場合には無罪事実の審理のみに要したと認められる拘束日数と有罪事実の審理のみに要したと認められる拘束日数とが形式上明確に区分されておらず不可分一体をなしているところから、双方の利用関係の実質的日数を裁判所の健全な裁量によつて区分し、これに応じて補償するのが相当であるとの判断によるものと解される。そうしてみると、この規定自体、形式上無罪事実のみについて拘束がなされていた場合であつても、これを利用して有罪事実が併合審理されていたときは、これに要した実質的日数を補償の対象から除外することを定めたものにほかならず、併合されていない別事件の拘束が競合していたときには、当然補償の対象から除外する趣旨であると解するのが合理的である。併合して審理するかどうかは公判裁判所の裁量にかかり、その意味で偶然に左右されることがあるにしても、別個に逮捕勾留の理由と必要性につき明示的な判断を経ている以上、前記のような特別の事情が認められない限り、併合されていない別事件による拘束が実質上無罪事件による拘束になることはあり得ず、その全部又は一部を刑事補償の対象とすることは同法三条二号の趣旨に反すると解されるからである。なお、このように解したからといつて、所論のように別件逮捕、勾留を奨励する結果につながるものでないことは明らかであり、もとより憲法三一条三四条四〇条に違反するものではない。

そうすると、原決定が、別件甲について逮捕された日から本件について逮捕された日の前日までの一八日と本件につき一旦釈放された日の翌日から本件起訴の前日までの一四日はもとより、別件の拘束期間と重複する本件の拘束期間五三日合計八五日につき補償をしなかつたのは正当であり、所論のような違法はない。

次に(2) について検討すると、請求人の定職もなかつた生活状況、請求人が肉親などに自己を真犯人と思わせるような言辞を吐いたことが本件の発端となつたことや本件捜査の状況その他刑事補償法四条二項所定の一切の事情を考慮すると、請求人に対する補償の割合を一日三、五〇〇円とした原決定に裁量権の範囲を逸脱した違法はもとより憲法三一条三四条四〇条に違反する点はないと認められるから、この点の所論も採用できない。論旨は理由がない。

よつて、刑事補償法二三条、刑訴法四二八条二項三項四二六条一項により主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 桑田連平 裁判官 香城敏麿 裁判官 植村立郎)

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